The American School of Bangkok は、当初Didyasarinインターナショナル幼稚園として1983年に設立されました。「Didyasarin」とは、Lakhana Tavedikul夫人一家のことで、学校の創始者、であり理事長です。教育は、Didyasarin一家の専門分野であり、3世代に渡って一家の中で大切にされてきました。ラーマ6陛下王によって名称を受けたということから、この一家が教育者という運命をたどっている事が分かります。「Didya+Sarin」は、タイ語で「創造(Didya)の女神(サリン)」を意味します。Didyasarinは、この学校に関わった多くの学生が、将来どこかで活躍して、社会に貢献してくれると信じています。
Suseri(Prachya Davi)Tavedikul博士(学校の創始者及び所有者)との結婚を通して、Tavedikul夫人は、世界の国際問題や外交などに関わりました。Tavedikul博士の父は、タイからの日本への大使であり、タイの大蔵大臣でした。彼の息子(Tavedikul博士)は、この使命を継続し、タイのオランダ(1996~2000)大使となりました。彼らのインターナショナルスクールは、彼らが長い人生、教育や国際問題に専念してきた結果の象徴でもあります。
Didyasarinインターナショナル幼稚園が1983年に設立されてすぐに、幼稚園はタイ国内で有数の幼稚園の一つとなりました。保護者の多くは卒業後、子供たちを新しい学校に入学させることを望まず、Tavedikul博士と夫人に学校を拡大するようお願いしました。その後、文部省から許可を受け、1995年に、学校名もDidyasarinインターナショナル学校と改名し、保護者の希望を実現することができました。その後、学校の生徒数は、飛躍的に増加しました。スクンビットキャンパスは、500人生徒が収容できる大きさにまで拡張しました。そして、バンナートラッド通りに面した新しいキャンパスが建設されるまでの間、幼稚園から中学校までの生徒が通えるようになりました。1997年に、バンナーキャンパスが完成し、幼稚園から高校までの子どもたち2000人が収容できる大きなキャンパスとして開校されました。
本校は、東アジア地域委員会(EARCOS)のメンバーになり、2000年に西洋の教育協会(WASC)から、公認されました。さらに、多くの生徒が通う学校として国際的にも益々脚光をあび、学校の創設者は何らかの改革が必要と感じるようになりました。そしてその信念により、2000~2001年にThe American School of Bangkokと改名されました。また、国際的にも認識されるアメリカのカリキュラムを導入し始めました。現在The American School of Bangkokは、タイ国内でも高レベルなインタースクールとして多くの方に認識されています。将来、知性にあふれ、創造性が豊かな男性、女性として活躍できるように、常に進歩し続けています。